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平成26年11月20日の日経朝刊、「私の履歴書」、坂根正弘さん。コマツの相談役の方です。
実は、今月のものは読んでいませんでした。社内での「叩き上げ」での元社長の方の「私の履歴書」はあまり面白くない、という先入観がありました。
が、しかし。
この日のものは、見出しに目がいき、中を読みました。
「雇用重視で一部が失敗」
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コマツの100%子会社ではなく、米国企業と米国で作った会社での再建の話です。
工場6つのうち、5つは閉鎖、従業員を解雇をした。しかし、テネシー州のチャタヌガ工場だけは、「日本流でやろう」ということで、
「他工場のような閉鎖や一時解雇はせず、給料を3割カットしながらも、全員の雇用を維持したのだ。」と。
が、しかし。
「その後がいけない。
米国市場が立ち直り、増産投資が必要になると、他の工場は投資して、雇用も増やしたが、『リストラしない工場』を掲げたチャタヌガでは踏ん切りがつかない」。と。
どういうことかというと。
「『規模を大きくして,次の不況がきたら対応できない』という心配が先に立つのだ。」
そしてどうなったのか。
「結局10年たってみると、他工場が大きく伸びたのに対し、チャタヌガは取り残された。」
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これは、全く違う話ですが、先日、ブログ「まだまだ行くよ!」に書いた相続に関するエントリーにも通じると思います。
遺産分割てもめる相続人ら。
争えば争うだけ、その3年後、5年後にようやく獲得目標を達成したとしても、結局は、「時間の流れ」の中で、その「時間」、つまりその資産を活用する機会、つまり「成長の機会」を失っており、結局は、誰も勝者のいない状態となっているのです。
こうした状況をこの今はコマツ相談役となられている方は、次のように締めくくっています。
「考えてみれば、こうしたチャタヌガの状況は、日本経済の姿とも一部重なりあ合う。『社員を大切にする』。この精神は日本企業が将来ともに守るべき大事なことだが、あまりに労働市場の流動性が低いと、会社も個人も身動きが取れなくなり、成長機会を取り逃がす。」。
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成長機会。
時間、です。
これは流れ去っていくもので、どれだけ裁判しても、決して取り戻すことはできません。
不当解雇等を争う事件。
先日は、日本テレビの内定取消しの違法性を争う裁判の開始が大きく報道されて話題となっていました。
損害賠償請求をするのであれば、まだ解ります。
しかし、報道記事をみて驚いたのは、内定取消しの有効性を争い、その結果、何が獲得目標かというと、そのまま雇用をということだったようで、それが事実なら驚きだし、それがこの後の時間の流れの中で本当にその人が幸せなのか、満足いくのか私の感想ですが、非常に疑問です。
その間、争って得るものもあるのでしょうが、失うものの方が大きいように思います。
働いて成長する機会、成長する時間、です。
正直な個人的意見で、これはいろいろ反対意見もあるところだとは思いますが。
解雇の有効性を争い、雇用を求める争いというのは、その労働者の成長機会を取り逃がしていると思われてなりません。
今の日本の法制度の中での雇用の維持と解雇規制のあり方。
「労働市場の流動性」の低さということで、それが本当に労働者の利益になっているのか。疑問です。
解雇を言い渡されたときに、すぐに前向きになれるのかどうか、すぐに再就職先が見つかるのかどうか。
以前の状態とは異なり、時代も流れているように思います。
(おわり)
*川の流れのように。 時間は流れていきます。流れに身を委ね、未来に生きる方が「成長」し、幸せなのではないかというのが私の価値観です。
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