2014年11月11日火曜日

「僕は本社ビルを持ったことを後悔しています。」

 日経ビジネス アソシエの14年12月号。100頁。アース ミュージック&エコロジーの石川康晴社長の言葉か掲載されています。

 アース ミュージック&エコロジー。
 95年設立の、今も本社は岡山となる会社クロスカンパニーが展開する洋服ブランドです。

  サイトの会社情報にも掲載されている本社社屋の建物。

 2002年。
 「同じ頃、岡山の本社ビルが完成。設立資金を銀行から借りていたのですが、東京の店舗の売り上げが急速に下がったことで手元の現金が枯渇し、返済が負担になっていました。」
 「本社ビルの設立記念パーティーでは、惨めな気持ちでした。」「内心、その場から逃げ出したくなりました。」
 「僕は、本社ビルを持ったことを後悔しています。業績が低迷したら、土地代が安い場所に小さな事務所を借りる。業績が良くなれば、ビジネスがしやすい場所に大きな事務所を借りる。それでいいと思います。何も自社で土地を買って建物を保有する必要はない。」

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 東京に出店して好業績を上げ、浮かれていたというのが大きいとは思いますが、素朴な疑問。
 借り入れをしての本社社屋建設を止める人はいなかったのか?ということです。

 賃貸物件ならともかく、自社ビルを持つことに本当に商売上、メリットがあるのかとういのは、2002年、私でも知っていました。
 2002年,大阪。弁護士として大阪で独立し、法律事務所を開設すると決めた時、5月、ゴールデンウィークの最中、がらんとしたビジネス街を本町あたりから西天満あたりまで、パートナーとして共同経営をしようとしていたもう一人の弁護士と2人、ひたすらビルの間を歩き回りました。
 その時は、適当な物件をみつけられず。
 その後、何を思ったのか、ビルの分譲の一室の購入はどうかという案が持ちかけられしまた。確か、5000万円くらい。
 即座に、却下しました。
 柔軟性がなくなるだけで、何もいいことはないと即、判断できました。


 景気が悪くなると、バブル期前頃に建設所有していた自社ビルも、企業はどんどん手放していきました。必要ではなかったということでしょう。
 
 2000年頃。バブルがはじけてから10年近くが経とうとしています。
 なぜ、石川社長は、岡山に土地を買って自社ビルを建ててしまったのか。

 石川社長を唆した人(そそのかした)たちがいたからでしょう。
 お金を貸す人、建てる人。
 
 唆す人がいたと同時に、石川社長を止めようとする、財務の分かる人が社内あるいは顧問にいなかった。あるいは、いたけど、その懸命な意見を石川社長が振り切った?
 いずれにしても、これも、社長の責任です。
 
 「このまま会社が倒産したら、僕の生命保険で借金を返すしかない。」そう思い詰め、瀬戸大橋から飛び降りようかと思いました。」
 
 これが、社長の責任です。
 会社潰して、借金を踏み倒したからといって、死ぬ必要はまったくないですが、これほどの重圧を背負うというのが社長業なのだと思います。
 そして、その業をまっとうするためには、自分の周りに適切な人を置いておく、それが社長の本当の責任だと思います。

 ところで。駅前・岡山といえば。林原を思い出したのですが、あれはどういう話だったのか・・・。村上龍の番組に社長が出ていたときのことはうっすらと覚えていますが、その後、倒産、書籍出版とフォローしていません。そういえば、数ヶ月ほど前か、再生手続きの関係だったかで、判例集の「判例時報」で名前をみたような。金融機関がらみだったような。岡山って・・・。
                      (おわり)
*2013年2月、東京マラソンのスタート地点から。
 都庁の建物。

 

 

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